断酒生活(167日目)〜クライアントとの関係〜
先日お客さんが開催しているイベントに行ってきた。
久しぶりに会った人から一様に「痩せたね〜」と言われた。
肝臓の具合が悪くて断酒した旨を話すと、可哀想にとか、酒の無い人生は考えられないなどなど哀れみの言葉をいただきました。
毎度の事なのですが、「酒の無い生活を能動的に選択し、結果として酒のある人生よりも充実しているのでお情け無用です」と心の中でつぶやくのでした。
この集まりは年に1〜2回あるのですが、今まで緊張から飲み過ぎてだいぶ失態をさらしていた。
ただ優しい人ばかりで、酒乱というレッテルを貼られながらも笑いながら接してくれていた。常日頃会う訳ではないので許されていた?ことであり、本来ならクライアントと飲んで失態を犯すのは許される事ではない。長期的に見れば、あの人は酒乱だから関わらないでおこうと遠ざけられるのが世の常だ。
打ち上げに参加して、緊張から酒をあおり、饒舌になりというパターン。
やっちまったなあと思いながらも次の集まりでまた同じ事を繰り返す。
だったら参加しなければいいのだが、断る勇気もなくズルズルと…
しかし今回は酒が飲めないという「免罪符」もあり、あっそうか飲めないから仕方ないねという感じで打ち上げには参加せずに済んだ。
そもそも私が参加しなくても、何の問題も無く成り立つ会なのに、そこに参加しなくては駄目だと勝手に思い込み参加していた訳で、本来はこれでいいのである。
確かにそこに参加すれば、参加しなければ聞けない話などもあるだろう。
しかしそれは適度に酔える人ができることで、酒に飲まれてしまう私にはそもそも参加資格が無いのである。
飲まなければ余計なトラブルも起きない、自己嫌悪にも陥らない。
飲みの席にいなくたって飲みはじめてしまえば誰も1人いない事なんて大して気にしていないのが現実だ。
最初は健康上の理由でも何でもいい。それが続けばあの人はもう飲まない人なんだと認識される。そうすれば参加しようがしまいが気にされなくなり、参加してもジュースで違和感無くそこにいることができるだろう。
それでいい、それがいい。