断酒生活(192日目)〜忘年会シーズン〜
やや間があきました。
12月年の瀬に入り、色々と慌ただしくしております。
さてこの時期になると世の中は忘年会シーズンで、毎日どこかしこで酒宴が開かれている。またそういったお誘いも多くなる時期だ。
私も社会人1社目の会社の同期からお誘いがあった。
例年この年末の時期に同期や当時の先輩、後輩も含めて現在まだその会社にいる人、やめた人関係なく大勢で集まる恒例の行事だ。
当初参加するつもりでいたのだが、皆の日程がなかなか合わず、結果的には私は別の予定が入っていて行けない日に設定してもらった。
調整つけて行くとは言ったものの社交辞令で、実際飲めない私が行ける日程に合わせてもらうのが忍びなかった。
参加したくなかった訳ではない。
ただ実際、飲み会というものに対する優先順位がとても低くなっている事に気がついた。一つは参加費として4〜5千円かかるということ。もう一つはその日家の用事で会社は元々休みにしていたので、わざわざ飲み会のために都心に出るのがおっくうだったという事。
この2つの要因は以前であれば、それでも飲みたいという飲酒欲求の方が圧倒的に勝っていただろうが、今は逆である。
飲み会を否定するつもりも無いし、むしろ参加したい会もあるが、あきらかに優先順位は低い。
例年ならこの時期は飲み三昧で散財していたものだが、今はそのお金は趣味の釣り具やファッションに使っている。
どちらがいいか?
それは人それぞれが決める事だし、どちらが良くて悪い訳ではない。価値観の違いというやつで、今の私は飲み会にお金を使うよりも、別の事に使う方が有意義なのだ。
飲めないとお誘いも少なくなる。
やがては誘われなくもなるだろう。
飲める人の立場からは、飲めない人は可哀想だと思う(かつて自分もそう思っていた)。
飲み会に参加しても素面じゃつまらんだろうし、ジュースなどで同じ金額払わされるんだから損してるし、何より楽しい飲み会に誘われないのは可哀想だと。
飲めない逆の立場になってみて良くわかる。
・素面じゃつまらない=酔っぱらいの醜態を見るのは面白くないし時に不愉快。
・損してる=つまみも冷静に食べてみれば大して美味しくないものばかりで、まさに「損」その通〜り。
・可哀想=むしろ積極的に参加したいと思わないので、誘われないのは逆にありがたい。
という訳です。
これはいくら飲める人に説明しても決して理解されないと思う。
そのくらい飲酒至上主義社会の先入観というものは根強いなと感じます。