断酒生活(170日目)〜飲まないという思想〜
知人の音楽好きに影響されて、レコードを集め初めて早2年。
とはいえもともとそんなに音楽に精通しているわけでもないので、自分の好きなアーティストやジャンルを中心に気が向いた時に少しづつレコードを買っている程度。
ここ最近のアナログブームで色々なアーティストがアナログを出してくれるので、昔好きだったアーティストのアルバムがLP化されるのは嬉しい限りだ。
さてそんな中で最近仕事の流れからマイナースレットというUSハードコアバンドを知ることになりました。
もともと洋楽にはとことん疎いので、えっ?今さらと思われるでしょうが恥ずかしながら今さら知りました…
さてこのマイナースレット、調べてみるとvoだったイアンマッケイが「ストレートエッジ」という思想を提示した事でも有名で、その思想とは旧来のセックス・ドラッグ・ロックンロールというパンクス思想に対するアンチテーゼとして、NO smoke NO drug NO alcohol NO sexという、吸わない、キメない、呑まない、快楽的なセックスをしないという思想だという。
以下引用
ロックだパンクだ社会批判だ革命だと言ったところで、「だらしない大人」と同じように飲酒喫煙や薬物や自堕落な性行為、博打、フリーセックスと言えば聞き良い乱交、などに耽っているようではどうしようもないと言うことである。
ロックとドラッグとセックスでラブ&ピース的能天気なフラワームーブメント(もはや老人的懐古趣味だ)からの決別でもある。
まあここからさらに菜食主義、カフェインを取らないなど発展型の思想もあるという。
ただストレートエッジ思想はファシスト的な思想になる危険性もあるとも言われている。
イアンマッケイ自身は現在のストレートエッジ思想は自分が当初提唱したものとは趣旨が違っているとして共感できないとも言っているとか。
まあ謂れは色々あるが、個人的にはこの思想に一部賛成だ。
セックスドラッグロックンロール。それがカッコいいとされた時代はもはや過去の事で今やそんな退廃的な思想や行動は逆にダサいというのが今の若者にも共通しているところなのだと思う。
だらしなく腹が出て、醜態をさらけ出し、酔って迷惑な行動を起こす。
うるせ〜酒のない人生なんて糞食らえ、破天荒はカッコいいんだ!
なんて思ってる節があるのが今のアル症予備軍の中年達だろう。自分もそうだった。
どうにでもなれという退廃的な事を良しとしていたように思う。
しかしそれは現実から逃げているだけに過ぎない。
もちろん呑まない事が良いとか偉い訳ではなく、酒も嗜好品として適度に楽しめるならそれは素晴らしい事な訳で、そこを否定するのは違うと思う。
結局は人に迷惑をかけずに嗜めればそれに越したことはない。
あとは自分自身の健康と相談してうまく付き合っていけば良いのだから。
少なくとも退廃的な思想で人に迷惑をかけるような前時代的な時代錯誤な思想よりはこのストレートエッジの思想の方がはるかに良いと私は思う。といって自戒が行き過ぎて、禁欲的になりすぎるのには賛同できない。
断酒生活(167日目)〜クライアントとの関係〜
先日お客さんが開催しているイベントに行ってきた。
久しぶりに会った人から一様に「痩せたね〜」と言われた。
肝臓の具合が悪くて断酒した旨を話すと、可哀想にとか、酒の無い人生は考えられないなどなど哀れみの言葉をいただきました。
毎度の事なのですが、「酒の無い生活を能動的に選択し、結果として酒のある人生よりも充実しているのでお情け無用です」と心の中でつぶやくのでした。
この集まりは年に1〜2回あるのですが、今まで緊張から飲み過ぎてだいぶ失態をさらしていた。
ただ優しい人ばかりで、酒乱というレッテルを貼られながらも笑いながら接してくれていた。常日頃会う訳ではないので許されていた?ことであり、本来ならクライアントと飲んで失態を犯すのは許される事ではない。長期的に見れば、あの人は酒乱だから関わらないでおこうと遠ざけられるのが世の常だ。
打ち上げに参加して、緊張から酒をあおり、饒舌になりというパターン。
やっちまったなあと思いながらも次の集まりでまた同じ事を繰り返す。
だったら参加しなければいいのだが、断る勇気もなくズルズルと…
しかし今回は酒が飲めないという「免罪符」もあり、あっそうか飲めないから仕方ないねという感じで打ち上げには参加せずに済んだ。
そもそも私が参加しなくても、何の問題も無く成り立つ会なのに、そこに参加しなくては駄目だと勝手に思い込み参加していた訳で、本来はこれでいいのである。
確かにそこに参加すれば、参加しなければ聞けない話などもあるだろう。
しかしそれは適度に酔える人ができることで、酒に飲まれてしまう私にはそもそも参加資格が無いのである。
飲まなければ余計なトラブルも起きない、自己嫌悪にも陥らない。
飲みの席にいなくたって飲みはじめてしまえば誰も1人いない事なんて大して気にしていないのが現実だ。
最初は健康上の理由でも何でもいい。それが続けばあの人はもう飲まない人なんだと認識される。そうすれば参加しようがしまいが気にされなくなり、参加してもジュースで違和感無くそこにいることができるだろう。
それでいい、それがいい。
断酒生活(164日目)〜出張を終えて〜
週末に地方へ出張していました。
地方出張といえば、ご当地グルメが楽しみだった今までは、夜どこで飲むか?何件行くか?そんな事ばかり考えていた。
実際地方の居酒屋にはそこでしか食べられないメニューがあり、それがまた楽しみの一つでもあった。
しかし今回は酒が飲めない。
果たしてどうなる?
酒の飲めない地方出張ほど楽しくないものは無い→やっぱり酒飲もうなんてことになるだろうか?
少し不安であったが、行ってみて新たに気付いた事がある。
確かに居酒屋には入りづらいのだけど…
そもそも居酒屋にそこまで魅力を感じなくなっている自分がそこにいたのです。
酒宴にはつきあったのですが、そこで美味しい地のものは十分に楽しむことができた。すると新たにもう1軒、さらにもう1軒という欲が無くなっているのである。
酒を飲まない者の夕食は割とすぐにお腹いっぱいになって満足するので、何件もはしごして食べようという気にならないのだ。
折角地方にきたんだからと何件もはしごするのは、結局酒の食欲増進効果が成せる業であり、酒が無ければ1件でも十分に満足なのだ。
そんな訳で居酒屋へ行きたいと思わなかったので、結局地方の夜は全然苦ではなかったのです。
もちろん〆のラーメンなど酒を飲まなくても楽しめる場所は探せばいくらでもあって、逆に今までは二日酔いで朝スタートが遅れていたのですが、いつも通り目がスッキリ冷めるので朝飯、昼飯、おやつと楽しめて限られた時間を極めて有効に過ごす事が出来た。
酒が好きな人から見れば、折角地方にきたのにもったいないなあ、損してるなあと思われるのでしょうが、全然そんな事はなく飲まなくても同じように食事を楽しむ事は出来るんですね。
心配は余計な気苦労となって泡と消えました。
もちろん飲める人は居酒屋巡りも楽しいでしょう。
ただ私はそこに魅力を感じなくなってしまったので、悔しさも、惨めさも、羨ましさも、そういった感情が湧いてこないので、また酒を飲みたいとも思わなかった訳ですね。
酒の呪縛から少しずつ開放されているのだなと今回の経験で新たに思いました。
断酒生活(161日目)〜二日酔い〜
おはようございます。
今朝は早く家を出ないといけなかったので、この時間でもう電車に乗っています。
そして今目の前のオジさんが強烈なアルコール臭の呼気を撒き散らしております…
表向きにはシラフの出勤を装っているようですが、まったくもって臭いが酷い。
歯も磨けてないのでしょう。その口臭も混ざってもはや公害レベル…着てるシャツはクタクタ…これで客先なんか行ったら一発でアウトだよな。
とはいえ自分もよく二日酔いで出勤したものです。こんな醜態を晒していたのかと思うとゾッとします。
でも当人は酷い二日酔いをまるでステータスであるかのように笑いながら話すんですよね。「いや〜昨日飲み過ぎちゃって二日酔いが酷いですわ〜。あー気持ち悪っ」なんて言ってね。
不思議と世間はそんな二日酔い者に寛容な所がある。
まったく仕方ないな〜、飲み過ぎちゃったのね、これ二日酔いに効くよ、なんて優しい言葉をかける。
もっと突き放されるべきだと思う。
ハッキリ言って醜いし、素面でそんな醜いアルコール臭を朝から見ず知らずの人間に強制的に嗅がされる身にもなって欲しい。
いかなる理由であれそこまで飲んだなら次の日はせめて世の中に出ないのがマナーだし、それが出来ないならそこまで飲むなという事だ。と言ってもセーブ出来ない予備軍が大体こうなっているんだろう。
底つきするまでわからないんだよな。
断酒をすると客観的にこうした酔っ払いの醜態が嫌が応にも目に入ってくる。
そしてその醜い姿を見て、再飲酒はしないと思える原動力にもなる。
若者のアルコール離れが加速しているというが、こんな酷い姿を見てたら必然的に酒飲むのやめたとなるのは自然の流れだ。
メーカーはなんとか若者に飲ませようと四苦八苦しているが、もはや酒がカッコイイ時代じゃない。
そしてカッコ悪い醜態を晒す中年は今後益々増えていくのだろうな。
断酒生活(150日目)〜飲み会にて〜
先日会社の飲み会での一コマ
相変わらず酒に囚われたトップはこの日は久々に皆が集まり嬉しそう。
所々で個別の飲み会の話題がチラホラと。
そういえば5ヶ月近くこの全社飲み会以外は全く顔を出していない事に気がつく。
相変わらず飲んでは気が大きくなり小さなイザコザを面白おかしく後日談で酒の肴にしているようでした。
まあそれはそれでいいと思うし、酒を飲む人を別に否定するつもりはない。
そもそも私も酒が好きだったし毎日飲んでいた一人でもある。
ただ飲んではいけない体質だという事がわかったので飲まないことを選択している。
もはや飲まない日常が私の日常になっており酒のある生活は過去の事になりつつある。
といってもまだ5ヶ月しか経っていないのだが。
唯一嫌なのは酒の席に参加を強要される事だ。これは酒を飲まなくなって嫌なことの一つだ。
といっても全ての酒宴が嫌なわけではない。
むしろたまには飲まなくても酒宴の席には参加した方が良いと思っている。
問題なのは過去の自分に似たような酔っ払いを見た時にとても嫌な気分になるのだ。
過去の酔狂な自分の録画を見せつけられているようで…
何を冷静ぶってるんだ?少し前のおまえはもっと酷かったんだぞ…と言われているような気がする。
これが身近なところで会社のトップがそうだから困ったもので、さんざん自分の酔狂酩酊奇行を見ている人なので実際にそう言われても仕方ないのだが。
来年くらいには飲めるんだろう?と言われた。「どうですかね〜」と言葉を濁しておいた。
元の生活に戻るつもりはない。
あなたの酒の飲み相手になる為に人生を棒にはふれない。それは極端だろ?と言われるかもしれないが、アルコール依存とはそういう事なのだ。
完治はしないのだ。最初はできていてもいつかまた自分がセーブ出来なくなり過去と同じ過ちを繰り返す。
今は正直本当にそうなるか?な部分はある。
しかしどの本やブログにも同じ事が書いてある。つまりそういう事なんだと思う。
何よりも今のこの生活が快適で、当たり前のこの平和な日常をこれからも積み重ねていきたいので元には戻らない。
断酒生活(144日目)〜灯台下暗し?〜
ここ最近また新たな試みを始めました。
キッカケは自転車通勤の途中で気づいたこと。
わたしの通勤ロードは大小の川を全部で6つ超えるアップダウンのある道程だ。
そんな川を超える時にいつも少しスピードを落として川の様子を眺めます。
潮の上げ下げ、濁りや風など、通るたびにその日の川の状況を何気なく観察していました。
これは釣りをしているものの性といいますか、海況や天気にいつも敏感になるんです。
そうして毎日川の様子をチェックしていると自然と行き帰りにちょっとあそこで釣りしてみたいなあなんて思うようになりました。
こうなったが最後→色々と情報を調べ始め→家の近くを流れる川でバス釣りをしている人のブログに出会い→なんとこの川でもバス釣れるのか→よしやってみよう!
元々バス釣りには興味はありましたが、バスまで手を出したら金と時間が足りなくなると自制していました。
しかし近くの川で釣れるとなれば話は別です。といってもそう簡単に釣れるような甘い場所ではないのはわかっています。
なら何故やろうと思ったか?
それは通勤途中にちょっとだけ寄り道してやるというスタンスが出来る事に気づいたからです。
幸いリールは沢山持っているので問題なく、ロッドだけコンパクトに収納できる(リュックに入るパックロッドがあった!)ものを新調すれば良かったので踏み切れました。
時間も約30分程度の短時間なので、ルアーは決め打ちで数個しか持っていかない。
なんかこの潔さもいいなと思っています。
あくまでも通勤途中の寄り道なので釣れなくて当たり前みたいな感じで気楽にやれるのも魅力ですね。
というわけで毎朝釣行を始めました。
釣れたらまたブログに書きます。
我ながら釣りバカですね 笑
断酒生活(140日目)〜結び〜
興行収入が話題の映画「君の名は」を見てきた。すでに2ヶ月近く経つのに未だ劇場内に人は多い。
アニメ映画はエヴァQ以来。
率直な感想をいうと良かった。
青春ラブコメではあるが、設定やストーリー展開など全てが上手く作り込まれているなあと感じました。
エンタメ作品としてクオリティが高いというか完成度が高いというか、いずれにしても幅広い層からの支持を得られているのも納得できる。
もともとアニメは好きなのでそこの抵抗は無いんですが、ラブコメものはあまり好みではないので半信半疑な部分がありました。
昨今のTVドラマのようなベタを良しとするアホくさい展開が来たらどうしようかと…
でも予想に反して絶妙な具合でベタもありつつ、散りばめられた謎や伏線による次の展開が気になるストーリー進行、あと画の綺麗さにも魅せられましたね。音楽も見事にこの映画のために作られたという感じで本当に完成度が高い作品だと思いました。
映画の中で印象に残った「結び」という言葉。この世界は糸と糸が絡み合い、組み重なり合い、時にはもつれ、時にはほどけ、また結ばれて1つの紐になっているそれが結び(みたいなセリフでした)。
組紐が映画の中で象徴的なアイテムとして使われているのでより分かりやすかったのですが、人との出会いや出来事など人生は確かに人と人の糸が絡み合って出来ているなと思います。
そうしてみると私が断酒を決意した事も1つの結びだったのかなと思いました。
酒で問題を起こした過去の糸はぐちゃぐちゃに絡み合っていながらも、切れずに続いていて、今は他の糸とキチンと組み重なり合おうとしている。
まだその綺麗な組紐のほんの始まりに過ぎない。過去のぐちゃぐちゃも切ることは出来ないが、この先は綺麗な組紐を紡いでいきたいと思う。